江戸四宿の一つ、千住に今年で創業251年になる整形外科、名倉医院があります。現在の院長で八代目。
名倉家はもとは秩父地方で暮らしていましたが戦国時代、武田氏が進出したのに伴い秩父を去り、江戸の千住に移り住みました。この地で接骨業を始めたのは千住四代目で柔術の中から「骨接ぎの術」を学んだ名倉直賢(なおかた)。開業したのは明和7年(1770年)のこと。
この名倉医院、「名倉流」とよばれるほど治療が評判で、患部に「あて木」をあて包帯を巻き固定するのですが、この包帯がなかなか弛まなかったそうです。
それとニワトコの木、別名:接骨木とも呼ばれる木を蒸して臼で引き、すり鉢で粉にし、大きなまな板の上で日本酒で溶かしながら練り上げ、真っ黒な薬を作りました。これが「黒膏」で、黄半紙の上にヘラでのばして貼り薬として使用していました。なんと現在でも希望に応じて処方しているそうです。
最盛期の大正時代、一日の患者が300〜500人。遠方からの患者や重症者は近くの旅館に宿泊して治療を受け、近くを通る旧日光街道は患者を乗せた戸板や駕籠の行列ができたそうです。
敷地内には江戸時代の貴重な建造物が今も残されています。それは徳川幕府十二代将軍、徳川家慶の鷹狩りの際の休息所と指定され、大改修を行った旧診療所。ちなみに実際に訪れたのは十三代将軍、徳川家定。大改修には当時の名倉家当主がたいへん苦労したそうで、複雑な心境だったでしょう。
千住の旧日光街道は一里塚跡、本陣跡、蔵など宿場の面影がちらほら残されていて、日帰り街道歩きには最適です。腰の病が落ち着いたら再発防止に「黒膏」の処方と見学を兼ねて名倉医院まで行ってみようかな?!