今から約20年ほど前の8月、岩手県にある緑風荘という旅館に泊まりにいきました。
この旅館は座敷童子が出る事で有名です。
この座敷童子、名前を亀麿(かめまろ)と呼ばれています。
1300年(南北朝時代)、南朝のある武将が北朝(足利尊氏)との戦いに敗れ落武者となり大和国(奈良県)〜武蔵国五日市(東京都あきる野市)へ落ち延びたが、関東の勢力範囲内だったので、さらに北上して、陸奥国(岩手県)へと落ち延びました。
この時、武将には2人の息子がいて陸奥国までの旅路で兄の亀麿は病気で亡くなってしまいます。死ぬ間際に「末代まで家を守り続ける」と言い残し息を引き取りました。まだ6歳だったそうです。
この亀麿の霊が緑風荘の奥座敷「槐の間」に住み着き、守り神となったといわれ、この部屋に泊まり座敷童子に会うと男性は出世、女性は玉の輿にのるといわれています。
ボクが緑風荘を訪れた時、この「槐の間」(えんじゅのま)はすでに予約されていたので別の部屋を案内されました。
夕飯までまだ時間があったので館内をブラブラしていたら、ボールをついて遊ぶ子供のキャッキャッという声が聞こえました。
あ〜、子連れの家族が来てるんだなぁ。と思っていました。
夕飯の時間になると宴会場へ案内され決められた席に座りました。この日のお客さんは「槐の間」に宿泊するご年配ご夫婦、若いカップル、とボク。
子供はいません。旅館の関係者の中にも、どこにも子供の姿がありません。
あれ?あれ?家に帰ったのかな?
ん?なんか変だな。
座敷童子が遊んでたのかな?
この緑風荘、今から約10年くらい前に火事で全焼。亀麿を祀る中庭の亀麿神社は無事だったそうです。
そのおかげか、今は新しい建物で営業していますが、座敷童子は今も目撃されるそうです。