〜薬の町 日本橋本町〜

現在、1300万人以上の人たちが暮らす巨大都市、東京。その中心部のほとんどが埋め立てて造られていたとは…

わかっているけど、高い所から見渡せば見渡すたび、歩けば歩くたびに驚きです。

今から400年以上前、あの徳川家康により埋め立て工事が始まり、中でも難工事だったといわれているのが豊島洲崎の埋め立て工事。現在の明治座がある日本橋浜町から新橋くらいまでの範囲になります。

この難工事により栄養不良、過酷な労働…、いろいろ悪条件が重なったんでしょう、多くの労働者たちが眼病に悩まされたそうです。

そんな状況の中、小田原の北条家に仕えていた医者で、北条家が滅亡してから江戸日本橋に住んでいた益田友嘉が五霊膏(ごれいこう)という目薬を開発、販売し、眼病に効くと大評判となりました。

「五霊膏」は明暦3年(1657年)と元禄3年(1690年)の医薬関連書籍で紹介され、文政7年(1824年)の「江戸買物独案内」には広告が掲載され江戸時代を通じてロングセラーとなりました。

この五霊膏の原料、調剤薬を扱う「問屋」「小売」は現在の日本橋本町に軒を連ね、薬種問屋組合を結成、薬種の商いの中心地となりました。

その後、さまざまな薬の普及と共にニセモノが出回るようになり、幕府は検査所として「和薬改会所」を設置。運営は薬種問屋組合に任され、同時に地方からの商品を直接受け取る特権も与えられ、組合は江戸の薬品市場を独占するようになりました。

明治時代になり西洋の薬が輸入されるなど、薬を取り巻く環境は大きく変わり、明治13年には薬を量る規定を改定、当時多く設立した病院に薬を提供するなどの活動に取り組みました。

そして、この頃の薬種問屋の中から現在の製薬企業が生まれていきました。

日本橋本町を歩いていると薬の老舗企業が今も活躍しています。

その歴史を辿っていくと薬マニアだった徳川家康につながりました。少し無理がありますけど。

江戸東京は至る所に歴史が散りばめられていて、奥が深く味があります。コロナ渦で自粛、制限真っ最中ではありますが、素晴らしい町で暮らしているなぁ、と、つくづく思う今日この頃です。

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