〜薬と江戸時代〜

医薬マニアだったとされる徳川家康は健康に気を使い、70歳過ぎまで生き、当時としては長寿でした。

孫である3代将軍家光が3歳の時、医者でもどうにもならない病気を患い自家製の「紫雪」という薬で救ったという記録が残っています。この薬「しせつ」と読みます。

この「紫雪」は脚気、腹痛、解熱に効くとされていましたが、それにしても自慢の手作り薬で孫を救うって、さすが偉人ですなぁ。

その他もいろいろな生薬を自作していたそうで、出陣の際には御笠間薬(おんかさまやく)といって熱中症を抑える薬を備えていたそうです。後に駿府へ移り住んでからは薬草、薬木の栽培を行うための薬草園までこしらえてしまうほどの熱の入れようです。

その後、広範囲にわたり街道も整備され、日本各地で売薬業も盛んになり、旅人の土産にはその土地の名薬がとても人気となりました。

そんな名薬を扱う医者たちはどうしていたかというと、まず薬種問屋からたくさんの種類の生薬を買付け、その生薬をこれまたたくさん引き出しのついた箪笥に入れ保管し、患者さんの症状に合わせて調合していたそうです。

引き出しがたくさんのこの箪笥、百味箪笥(ひゃくみたんす)といって「千と千尋の神隠し」のワンシーンで釜じいが忙しく使っていたので「あ、あれねっ」という方も多いと思います。

そして医者たちは引き出しの中から秤を使わず薬匙(やくさじ)といって、耳掻きのような形をした道具だけで調合していた事から「さじ加減」という言葉が生まれたそうです。

そしてこちらも家康の孫、光國は水戸藩の藩医に「救民妙薬」といって現代でいう家庭の医学書を作るよう命じました。

その序文には「農村には医者も薬もなく死んでしまう者が多く残念であるので光國公はそういった地域でも手に入れやすい薬の処方を命じられた。そしてここに397種を選び編集した」という内容が記されています。水戸黄門の印籠は薬入れなのはご存知の通り。

まだまだ逸話はつきませんが、このように江戸時代初期に医学と薬学は発展し、現代へと繋がっていきます。

メディアでは連日、ワクチンやコロナの話題で持ちきりですが、いろんな情報で溢れていて何が何やら….。正解はあるのでしょうか。

もしも徳川家康が現代に存在していたなら、果たしてどんな決断をしたのであろうか?!

そんな事考えてなかなか寝つけない今日この頃であります。

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