〜病院の屋上から〜

腰椎炎症のため入院して約1ヶ月半。この病院の屋上からは富士山、初台オペラシティ、三軒茶屋キャロットタワー、すぐ手前には明治神宮が見えます。この文章が投稿される頃にはすでに退院しているので、屋上からの眺めを記念撮影。

それにしても明治神宮はとても広いです。ちょっと気になったんで捜査したdeござる。

明治神宮周辺はその昔、幕末の安政の大獄、桜田門外ノ変で有名な井伊直弼の中屋敷があった場所です。その後、明治時代になり、井伊家から政府へと献上されました。

そして明治45年(1917年)明治天皇崩御の後、国民の間から明治天皇の御神霊をお祀りしなければ…と声が上がり創健されました。

しかし、その当時、周辺はとても土地が荒れていたため、工事を始めるには多くの時間と労力、そして綿密な計画が必要でした。

工事を開始した大正4年(1915年)当時、この荒れた土地に明治神宮の創建をと、完成を目指して「明治神宮造営局」が立ち上げられました。この中のメンバーは…

・伊藤忠太(拝殿、本殿担当。築地本願寺、東京大学正門、湯島聖堂など手掛ける)

・本田静六(造園担当、日本の公園の父といわれる。日比谷公園、東京丸の内口駅前広場、行幸通りなど手掛ける)

・上原敬ニ(造園担当。横浜山手の西洋庭園など手掛ける)

など当時、第一線で活躍していた人達が参加しました。

こうして工事はスタートしますが、その裏ではたいへんな努力があったそうです。

この土地は保水力が乏しく、木々の成長に必要な水の確保ができなかっのです。

なかなか工事が進まず、当時の総理大臣、大隈重信から「明治神宮の杜を藪にするのか?」と揶揄されたほどです。

造営局のメンバーは「100年続く森」を目指して研究、努力を重ね、着工から5年後の大正9年(1920年)完成しました。

しかし拝殿、本殿などの建造物は戦災により焼失。昭和33年に再建され現在にいたります。

過去に何度も訪れ、その度にスケールの大きさ、神々しさに圧倒されていましたが、人工的に造営されたと知ったのは、ここ数年前のことです。

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