腰椎の炎症を患い、今年の1月上旬からお世話になっている病院の屋上から天気が良いと富士山が見えます。
あと数日で退院なので記念撮影しました。今はビルが立ち並びゴチャゴチャしてますが、昔は江戸から富士山の間にはのどかな田園風景が広がり、現代人が眺める富士山より江戸っ子たちの目にはもっと美しく富士山は映り込んでいたでしょう。
日本を代表するこの山は古くから御神体と考えられ、山岳信仰の対象とされてきました。しかし明治時代になるまで女性が登頂することは禁じられていたのです。
現代だったらそりゃ、たいへんです。日本富士山協会の会長が辞任するどころの騒ぎではないでしょう。というかあり得ないです。
そもそも昔の富士登山は、今のようにカジュアルなものではなく、神聖なものと考えられていました。
諸説ありますが一説によると、山岳信仰を広めた修験者たちが山に籠り厳しい修行の中、女性がいるとドキドキして集中できなくなり、精神を惑わすものとして女人禁制が定着したとされています。
また山の神は女神である場合が多く、女性が山に登ると嫉妬し、怒らせてしまうので女人禁制になったとも考えられています。
ちなみに山の神は(女神)=(お神さん)=(おかみさん)。今でも使う「おかみさん」の語源だという話を聞いた事がありますが、うん、なるほどなるほど。そうかもしれません。女性のパワーのルーツでしょうか。
ところで日本で初めて女性が富士山頂へ登った記録が残っています。その女性の名は「高山たつ」。偶然か必然か、名前がすでに高い山にたってます。
ちなみに女人禁制が解かれたのは明治5年(1872年)。
彼女が登頂したのはその39年前の天保3年(1833年)。ダメですダメ、No、No。
なんと彼女はバレないようにと、髷を結って男装までして登頂に挑んだのです。単独ではあまりに危険です、富士山信仰の師匠からの協力もあり、男性5人と共に挑み、登頂に成功しました。
「高山たつ」。彼女はキリシタン大名で有名な、あの高山右近の直系の親族といわれていて、もとは尾張江戸屋敷の奥女中だったと伝わります。
当時彼女は25歳。登頂成功後は男女平等を説き、女性も富士山へ登れる社会へと道を切り拓きました。
女性の富士山登頂が解禁になってから4年後の明治9年(1876年)、彼女は64歳で息を引き取りました。
「高山たつ」。彼女は富士山だけでなく、女性が様々な分野で活躍できる現代社会に影響を与えたのは確かなようです。