〜早稲田ミョウガ〜

江戸野菜シリーズ、今回は早稲田ミョウガ。

江戸時代、早稲田周辺はミョウガの産地として有名でした。

西早稲田に今も残る穴八幡宮。当時の農家の人たちは豊作祈願に訪れていたそうです。

近くを流れる神田川の北側の斜面には昔からミョウガが自生していたそうで、ミョウガは保水力がよく、水はけの良い場所でよく育つので条件がよかったのでしょう。

この早稲田ミョウガ、大振りで香りがよく全体的に赤く美しいのが特徴で、薬味、漬物、汁の具などに当時から使われていました。

徳川幕府が1828年に発行した「新編武蔵風土紀稿」にも紹介されています。

ミョウガを食べると物忘れをするという言い伝えがあるにもかかわらず、江戸っ子たちにはたいへん好まれていました。

「早稲田は一円に茗荷畑なりき、茗荷畑にあらざれば水田、水田にあらざればことごとく茗荷なり」と江戸時代の記録が残っているほど盛んに栽培されていました。

しかしそんな早稲田も明治15年、大隈重信によって後の早稲田大学となる東京専門学校が創立されてから宅地化が進み、水田もミョウガ畑もなくなってしまいます。

ところが近年になり早稲田ミョウガの茎がみつかり平成23年(2011年)に復活、練馬区でごくわすかですが生産されています。

ちなみに文京区に茗荷谷がありますが、この地名はこの周辺も江戸時代、ミョウガ畑が広がっていた事が由来です。

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