〜江戸野菜〜

その昔、江戸近郊にはたくさんの農家があり、たくさんの種類の野菜が栽培されていました。

明治以降、人々の生活の変化に伴い残念ながら無くなってしまった品種もありますが、今でも元気に栽培されている野菜があります。そんな野菜を紹介したいと思います。今回は内藤トウガラシ。

現在の新宿御苑は江戸時代、信州高遠藩、内藤家の下屋敷でした。

元禄時代、その下屋敷のすぐ近くに甲州街道の宿場として内藤新宿がスタート。江戸日本橋から数えて一番目の宿場です。

当時の大名屋敷の敷地内には畑があり、野菜を栽培して自給自足するのが一般的だったそうです。

内藤新宿は江戸の中心部と農村地帯とを結ぶ拠点として重要であり、とても栄えていた宿場です。

そこで内藤家では残った野菜を宿場内で販売を開始、これが好評。中でもトウガラシが評判になり周辺の農家にも広がっていきました。

当時の内藤家の下屋敷周辺はトウガラシの栽培により真っ赤に染まったといわれています。

内藤トウガラシの主な特徴は、葉が大きい事。なので葉トウガラシに多く利用されます。そして辛みは中程度。赤い実は葉っぱの上に突き出しています。

江戸時代が終わると内藤家の下屋敷は明治政府により没収。その後は農業試験場を経て新宿御苑になりました。

大正、昭和には都市開発が進み、農地と共に内藤トウガラシは姿を消します。

時代は流れ、平成20年(2010年)四谷地区協議会がトウガラシの苗を住民に配布。地域を真っ赤に染めるようにトウガラシが復活。新宿区内では内藤トウガラシ普及プロジェクトが進行中です。

タイトルとURLをコピーしました