六代将軍 〜徳川家宣〜

今回のおとぼけ動画は六代将軍、徳川家宣についておしゃべりしました。彼はいったいどんな人だったのでしょう?!

1662年6月11日生まれ 双子座

身長は160cm。二代将軍、徳川秀忠とほぼ同じで歴代将軍で一番の高身長。

48歳で将軍に就任。在任期間は3年5ヶ月。

奥方は正室一人 側室が四人。

子供は六人、養女一人。

享年50歳or51歳(資料によります)インフルエンザが原因かといわれています。

外見は温厚で鼻筋通ったイケメンで、庶民から人気があったそうです。

政治の手腕はというと、先代の将軍、徳川綱吉の不評だった政策を排除し、世直し政治を推進。

有能な人材を適所に配置、各分野の知識人を登用し、綱吉が独断傾向にあったのに対して逆である一致団結した政治を行いました。

将軍になる前の事。甲府藩主を継ぐ時に何人かの家臣もお付き人になり、その中に養父である新見正信もおりました。これを良く思わない他の家臣たちが「新美が自らの養子を藩主にとりたてた」と幕府にウソを報告。このウソが幕府に知られ、家臣は切腹を命じられるが、家宣は助命を嘆願、これにより家臣たちは減刑になりました。

家宣の母は側室で、もともと身分が低く実の父、綱重から認知されず、新美正信の所へ養子に出されていました。

先にも触れましたが、将軍就任時、綱吉の政策が不評、江戸の町では狂歌が流行っていました。

これを良しとしなかった家臣が「狂歌などで幕府を揶揄し、厳しく取り締まるべきでは?」と進言、これに対し家宣は「そういった批判的なことの中に重要なものが隠されているのだ」と家臣をなだめた事があったそうです。

〜君主でこれほどまでに学問に精通している方はどこにもいない〜と学問の師でもあった新井白石も認めるほど勉強熱心だった家宣。

経書、歴史書、諸子百家、全てマスターしていました。

夏はどんなに暑くても物事を習う時は正装をし、扇も仰がず、冬は師である新井白石にだけ火鉢を与えました。

普段は幕府の知的指導者であった新井白石ですが、家宣はあくまで一弟子として勉学に励みました。

家宣の特徴をまとめてみると…

世直し将軍。渋いナイスミドル。庶民からの人気が高い。慈悲深い。温厚。勉強熱心。高身長。

余談ですが、猫背で家系図マニアだったそうです。

もし将軍でなく、一般人だったとしてもきっと素晴らしい人だったんでしょう。

次回は七代将軍、徳川家継について調べてみようと思います。

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