今回のおとぼけ動画は10代将軍、徳川家治についておしゃべりしました。彼はいったいどんな人物だったのでしょうか?!
1737年6月20日生まれ 双子座
身長153〜158cm
父:徳川家重(8代将軍)
将軍就任年齢:24歳
在任期間:約26年
正室:1人 側室:2人
子供:4人(男子2人 女子2人)
享年49歳(脚気による心不全)
帝王学、政治等の勉強事にとても熱心で、理解も早く武術(剣.槍.銃)もトップクラス。芸術(能.絵画)も才能有り。
当時、正室はあくまで政略的なものであり、正室が子を産む事は珍しかったそうです。側室を拒み、正室の倫子を大事にしていました。
その後、倫子との間に2女を授かるが、2人とも早世してしまう。
世継ぎの事を心配した老中、田沼意次は側室話をもちかけるが家治は拒否。
大勢の家臣、お局になだめられ、渋々2人だけ側室をとる事を承諾。
「お主(田沼意次)も2人妾をとれ」と条件を出したそうです。
その後、2人の側室に1人ずつ男の子が生まれるが、育児はなんと正室の倫子が行いました。
側室2人は家治の愛妻家ぶりにその後身を引いたそうです。まぁ、そうでしょう、居場所が無くなったようなものですから。
それと優しい一面をのぞかせるエピソードを。
ある雨の日、ため息をついている家臣がいました。別の家臣が理由を尋ねたところ「家が貧しく屋根から雨漏りするので今頃、両親が苦心している」との事。
これを耳にした家治はその家臣を呼び「親孝行せい」と100両渡したそうです。さすが将軍!スケールがでかい。
ちなみに家治の時代、どういった事が起きていたか気になったので調べてみました。
浅間山大噴火。天明の大飢饉。平賀源内「エレキテル」。田沼意次.意知親子による「田沼時代」そして賄賂の横行。
大噴火に大飢饉。食べ物に困る中、賄賂の横行。ドロドロした世の中だったようです。
海外では…
イギリス産業革命。アメリカ独立戦争。鎖国していたこの時代、幕末へと繋がる出来事が起きています。
家治に話しを戻しましょう。彼の祖父は8代将軍、徳川吉宗。吉宗おじいちゃんからとても可愛いがられていました。
そんな吉宗おじいちゃんから質素倹約を躾けられ、将軍に就任してからも励行していました。
しかし、吉宗の死、息子の家基の急死でだんだん政治に無関心になっていき、趣味にのめり込んでいきます。特に囲碁、将棋の腕前はなかなかのものでした。
なので、政治に関しては老中、田沼意次が実権をにぎっていました。
しかし、この田沼意次、かなりクセ者だったようで…
ある日、家治が体調を崩してしまい、田沼意次お勧めの医者が処方した薬を飲んだところ、なんと危篤状態に。
なんとか一命を取り戻しますが、田沼陰謀説はこんな事があったからです。
さてさて、この辺りで家治の人物像をまとめてみましょう。
おじいちゃんっ子。帝王学を始めとした英才教育。愛妻家。囲碁、将棋が好きで強い。家臣に対し優しい一面あり。田沼陰謀説有り。
頭も良く、優秀で愛妻家。しかし途中から無気力になり趣味にのめり込んだ将軍、10代将軍徳川家治。
次回はいよいよ真打ち登場!11代将軍、徳川家斉について調べていこうと思います。