1709年8月8日生まれ しし座 A型 身長135cm
六代将軍、徳川家宣の四男
将軍就任年齢 4歳
在任期間 約3年1ヶ月
享年8歳 死因は肺炎といわれています。
今回のおとぼけ動画で七代将軍.徳川家継についていろいろおしゃべりしました。わずか4歳で将軍に就任。わずが8歳でこの世を去る。いったいどんな人生だったんでしょうか?!
見た目、顔立ちは凛々しく聡明で、将来有望だったそうです。顔立ちはイケメンだった父、家宣に似たのでしょう。
ある日、公家が家継の元へ謁見し、深々と頭を下げたのに対し、家継は軽く会釈しただけで見送りました。
その姿は幼少ながら将軍として、とても自然な振る舞いで大人顔負けでした。
家継4歳の時に父、家宣が他界したあと、即用人の間部詮房(まなべあきふさ)を父のように慕い言いつけを守ったそうです。
間部詮房が外出していた際に帰りを玄関先で待っていて、帰ってくると喜んで抱きついほどでした。
家継に対して間部詮房も優しく、そして厳しい教育をしていたとされ、間部詮房不在時にグズったとしても「詮房さまが参られます」と言うとおとなしくなったそうです。
ちなみに当時、間部詮房の官職名が越前守(えちぜんのかみ)だったので家継は「えち」と呼んでいました。
「えち、えち!」と言って甘えていたのでしょう。
そんな家継の特徴をまとめてみると…
わずが4歳て将軍に就任。頭がよい。将来有望。病弱。年齢より身長は高かった。
身長は位牌を参考に計測されていて8歳にしては高い方でした。
この身長についてですが、歴代将軍がこの世を去った時の身長を元に位牌は作られており、愛知県にある徳川家の菩提寺に今も保管されています。
歴代将軍で一番若い、というか幼かった家継。
家継で家康直系の血筋は途絶えしまいます。
次回は「暴れん坊将軍」でお馴染みの徳川吉宗について調べていこうと思います。