おとぼけ動画、今回は12代将軍、徳川家慶についておしゃべりしました。彼はいったいどんな人物だったのでしょう?
1793年6月22日生まれ カニ座 身長153cm
父親は11代将軍、徳川家斉。なので血筋は一橋家です。
奥方ですが正室が1人。そして側室は8人。
子供は男子14人。女子は13人。子供の数は歴代将軍ダントツ1位の父、家斉についで第2位!ライバル視してたのでしょうか?
享年60才。死因は熱中症といわれています。
どんな人物だったのか、エピソードをいくつかご紹介!
将軍になっても大御所となった父、家斉が権力をふるっていたため、初めは操り人形的だったそうです。なので自分に決定権が無いのを認識していて、何事も「そうせい!」と言うので「そうせい様」とあだ名がついていました。
父、家斉と考え方、宗教感が違ったり不仲だったとされていますが、子だくさんと生姜が好きなところは似ていたようです。
水野忠邦が天保の改革を行っていた時の事。ある日の膳で焼魚の添え物としていつも出されていた大好物の生姜がありませんでした。
なぜないのか?家臣に尋ね、生姜も倹約対象となり膳に出なかった事を知り、顔を真っ赤にして「生姜は倹約から外せ!」と言ったそうです。
さてさて、子だくさんのこの父と子。女性との向き合い方は一体どうだったのか比較してみましょう。
〜家斉は大奥を汎愛し、寵姫(ちょうき)の多くを貪った〜家斉は大奥の女性たちをみんな分け隔てなく可愛がりたくさんの女性と関係を持った。
〜家慶は鐘愛し、時間をかけた〜家慶は特定の女性と関係を持ち、末長く大切にして可愛がった。
分け隔てなく。と、特定の女性。う〜ん、性格が滲み出てます。
ところで家慶の時代、こんな出来事がありました。
・ペリー来航 ・大塩平八郎の乱 ・水野忠邦 天保の改革 ・天保の大飢饉
海外では ・アヘン戦争 ・マルクス著「共産党宣言」刊行 などです。
大変な時代の将軍様だったのです。
家慶の人物像、まとめてみると ・なかなかの絶倫 ・父が嫌い ・生姜好き ・ふれてませんでしたが絵が上手 ・27人の子供をもうけるが20才以上になったのは家定だけ と、いう感じです。
今回は12代将軍、徳川家慶について調べてみました。次回は13代将軍、徳川家定!!