今回のおとぼけ動画は5代将軍、徳川綱吉についておしゃべりしました。いったい彼はどんな人物だったのでしょう。
1646年2月23日生まれ うお座
将軍就任年齢 35歳 在任期間 約28年
奥方:正室1人 側室3人
子供:男子1人 女子3人
享年62歳 死因は麻疹(はしか)または窒息死説有り。
身長124cm
あの水戸黄門のモデルになった徳川光圀と仲が悪かったようで、光圀が編纂した「大日本史」では綱吉について悪く書かれている。
父、家光が40歳近くなるまで男色一辺倒だったのに対し、綱吉はもとから男女ともOKだったそう。
女性の場合、女中はもちろん家臣の娘、結婚したばかりの新妻など、気に入った女性は見境なく手を出し、恨みをかおうが自分の欲望のまま行動したようです。
芸事にも精通していた綱吉、自分のお気に入りの歌舞伎役者、小姓などを江戸城内に住まわせ「化粧の勉強」という名目で部屋を作り、たくさんの美少年を囲っていたといわれています。
綱吉の長男、徳松の健康を願って特定の年齢ごとに祈祷したのが七五三のはじりとされています。(しかし徳松は5歳で亡くなる)
身長124cm。これは愛知県岡崎市にある徳川家の菩提寺、大樹寺に歴代将軍の位牌があり、将軍が亡くなった時の身長に合わせて作られたといわれているのでかなり信憑性が高いと思われます。
いろいろなエピソードを書き出していくとかなり破天荒な将軍であった事が伺えます。
綱吉の人物像、ざっとまとめてみると…
身長コンプレックス。歌舞伎、能が好きで芸術にも明るかった。女性関係、男性関係にも明るかった。水戸黄門と不仲。ちょいと偏屈。有言実行タイプ。
先には書きませんでしたが、相当な勉強熱心で学問に長けていました。ドイツ人医師ケンペルが来日した際、綱吉と謁見し「非常に優れた将軍である印象を受けた」と書物に記しています。
破天荒で優秀な将軍。生類憐みの令は不評だったようですが。
他の将軍と同じく、その素顔は映画、ドラマの印象とはだいぶ違っていたようです。
次回は就任してすぐに生類憐みの令を廃止した6代将軍、徳川家宣について調べていこうと思います。