14代将軍〜徳川家茂〜

いや〜、やって来ました、14代将軍!!徳川家茂!激動の幕末、大変な時期に若くして就任した家茂。彼はいったいどんな人物だったのでしょうか?!

1846年7月17日生まれ 蟹座 A型 身長151cm〜156cm 身長、5cmの差は謎です。

血筋は紀州徳川家。後継者問題、揉めに揉めた末に就任。

将軍に就任した時の年齢、わずか13才。在任期間は1858年〜1866年。約7年9ヶ月。

正室1人 側室0人。子は無し。

正室は皇女和宮。孝明天皇の異母妹。なので明治天皇の叔母にあたる方です。

さてさて、そんな家茂将軍のエピソードをいくつかご紹介!!

側室をとらなかった唯一の愛妻家将軍で、出かけた時には贈り物をしたり、体調を気遣う手紙を送ったりと細かい気配りをしていたそうです。う〜ん、関心しますなぁ。

そしてやはり嫁姑問題。いろいろあったようです。

和宮からご挨拶代わりにと天璋院(家茂の養母)に送られた包みが呼び捨て書きだったそうです。これには周りの人たちも冷や汗びっしょりだったでしょう。

そして、公家出身で公家のしきたりを重んじようとする和宮を天璋院は良く思ってなかったそうです。

そしてそして、2人の座り位置(上座、下座)どちらにするかでピリピリしたり…

事あるごとに家茂が2人の仲を取り持ったそうです。とても優しかったんですね。

ある日、書の達人、戸川安清(やすずみ)が70才過ぎながら家茂に習字を教えていました。すると家茂が突然立ち上がり笑いながら安清の頭に水をかけ「疲れた、あとは明日にしよう」と言って出てしまいました。この戸川安清、長崎奉行、勘定奉行を歴任した凄い人。老齢のため失禁した安清に恥をかかせないためにとった行動でした。後にそれを知った安清は泣いたそうです。

幕末、フランスで生糸の元になる蚕が不足している事を知った家茂。国内の蚕を集めてフランスへ送るよう命じました。この行動と心遣いにナポレオン3世はたいへん喜び、日本から送られた蚕をファーブルたち専門家に管理を任せ大事にしました。

この出来事もあり、フランスの徳川幕府への肩入れはその後も続いたのでした。

幕臣の権力争いの末、若くして将軍に担ぎあげられ、自分のやりたい事などを諦め、将軍職を全うしようと勉強、執政に励んだ家茂。しかし年齢の若さ故、将軍である自分を差し置いて勝手に物事を進めて行く家臣を見て、悔し涙を流した事もあったそうです。

そんな家茂の時代、こんな事が起きていました。

・桜田門外ノ変 ・安政の大獄 ・新撰組による池田屋事件 ・薩長同盟 ・薩英戦争 

アメリカでは南北戦争、リンカーンによる奴隷解放宣言、などです。

本当に激動の中の激動の時代の将軍だったのです。

家茂将軍の特徴をまとめてみると…

・頭が良い ・見た目も良い ・優しく気が利き機転も利く ・努力家 ・責任感強い ・思慮深い ・人望が厚い ・政略結婚ながら愛妻家

本編では触れませんでしたが大の甘党で歯はほとんど虫歯だったそうです。

それと何らかの因果関係があったのでしょうか、心臓病により20才の若さでこの世を去りました。

あの勝海舟とは信頼関係にあり、家茂が亡くなった時「徳川家、今日滅ぶ」と言ったとか。

若年ながら懸命に激動の時代に立ち向かおうとする家茂を「時代が違っていたら高い英名を残しただろう」とする歴史学者多数いるそうです。

若き将軍、徳川家茂。いかがだったでしょうか。次回はいよいよ最後の将軍、徳川慶喜の登場!!乞うご期待!!

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