【美味しい歴史】徳川家康②

ズバリ!人質の値段は?『どて煮』

竹千代(岡崎城)
竹千代像(岡崎城) Photo by ナガトミリュウスケ

我々の新動画、②公開となりました!!
今回も家康について熱く語ってます。
家康本人も450年経過して、まさか50代の男2人が自分の事を語るとは思ってなかったでしょう。

そして今回の酒のお供は「どて煮」モツとコンニャクを八丁味噌で煮込んだマスター自慢の一品。
そしてそしてマスターおススメの酒、今回は丸石醸造「純米 三河武士」創業1690年の歴史ある酒蔵の純米酒です。

ちなみに1690年、いったいどんな時代だったのでしょう?
ちょいと気になり調べてみたら…

●水戸徳川家の水戸光圀、水戸藩の藩主の座を甥に譲る。
●徳川綱吉、江戸の湯島に孔子廟の移設を命じ、後の湯島聖堂の原型となる。

ざっと、こうゆう時代だったようです。元禄時代です。
ちなみに孔子廟は確か上野にあったんだったかな??

それにしても丸石醸造さん、すごい歴史っぷり、かっこいい!
こんな素敵な酒と肴で、家康の幼い頃の話しで盛り上がります。

家康がまだ幼かった頃、今川家がかなりの勢力を持っていました。
時は戦国時代、資金の援助を求めて家康の父は今川義元へ息子の家康を預けます。
家康(竹千代)まだ六歳の時です。

今川義元の命令で家康(竹千代)は愛知県の岡崎から静岡県の駿府へ連れて行かれるのですが、途中で家臣が裏切り、尾張国(愛知県の西)の織田家に送られてしまいます。
戦国時代、恐い〜。

その後、怒った今川義元は裏切った家臣をやっつけ、家康(竹千代)は名古屋の豪族の元へ預けられます。この豪族の屋敷の跡地が今も残っています。

わずか六歳の家康(竹千代)、すでにこんな過激な環境で過ごすのでした。

歴史の書物だと預ける事を人質と書いてあるんですが、確かに間違いではありません。
ただ人質というと飲まず食わずで何日も監禁…?!といったイメージかと思いますが、そうではありません。

そして家康(竹千代)は予定通りに今川家に預けられ、ちゃんと食事もして、ちゃんと教育も受け、すくすくと成長していきました。

ほろ酔いの二人はこういった話しに花を咲かせます。
ちなみにマスターはこの「人質」という表現が嫌なんだそうです。
続きは動画をご覧ください♪

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