【美味しい歴史】徳川家康⑦

いよいよ第7回となりました[美味しい歴史]

時は戦国時代のど真ん中!家康の身の回りはどんな感じだったのでしょうか?!

まずはいつものお客さんにお酒を。今回お出ししたお酒は 遠州山中酒造 純米吟醸「葵天下」

山中酒造さん、歴史ある酒蔵としても有名です。

徳川譜代の名門だった西尾家が治めた横須賀藩。横須賀といっても神奈川県ではなく、かつて静岡県にあった横須賀藩。

静岡県掛川市に横須賀城跡が今も残っています。

城下町の風情がのこる旧道沿いに、歴史を感じる山中酒造の酒蔵があり現在もここで酒が造られています。

江戸時代は、通りに面した間口の幅で税金の額が決められていたので、間口はなるべく狭く、奥へ深く広くという構造になっているそうです。一度行ってみたいなぁ。

そして酒のお供、今回は静岡県藤枝市の名物「染飯」(そめいい)

さてさて「染飯」とは?

染飯は「瀬戸の染飯」と言われ、旧東海道の上青島瀬戸町(現在の藤枝市)の茶屋で戦国時代から売られていて、東海道の名物として知られてきたもの。

もち米を蒸した強飯をクチナシの実で染めてすりつぶし、米俵のような形にしたもの。

乾燥したクチナシの実は、消炎.解熱.鎮痛.利尿などの効き目があるとされていたので、瀬戸の染飯は足腰の疲れを取る食べ物として評判でした。

そんな染飯の中にチーズ、浜納豆を入れてバジルの葉とトマトを添えてお出ししました。イタリア〜ん。

ちょいとオシャレでしょ?ちなみに浜納豆とは、徳川家康が戦に持参するほど好きだったという大豆発酵食品です。健康オタクの家康、長寿の秘訣は浜納豆だったのではないかといわれています。

そして美味しい酒と料理で歴史の話しに花が咲いたのでした。

天文11年(1543年)種子島に鉄砲が伝わったとされているこの年、徳川家康は生まれました。

戦国時代は鉄砲の歴史、といっていいほど戦の勝敗を左右しました。

桶狭間の戦いの後、家康は実の叔父にあたる水野信元の刈谷城を攻め、敗退した事があります。

水野信元、彼の異母妹が家康の母である於大の方。

当時、水野信元は織田方。一方家康は今川方。いくら親戚でも情け容赦なく戦う、これが戦国時代。

この家康敗退の要因は、鉄砲とその戦術によるものでした。

水野信元は知多半島を中心に海運業を展開し、資金が豊富。鉄砲を多数所有していたのです。

この事により家康は鉄砲、戦術の必要性を強く感じたようです。

そしてなんとその後、水野信元の仲介で織田信長と徳川家康は同盟を結ぶ事に…。う〜、ややこしや〜、でも面白い!この続きは動画で!

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