今回は13代将軍、徳川家定をご紹介!
11代家斉→12代家慶→13代家定。この流れからしてすでにかなり個性的な予感がします。
1824年5月6日(文政7年4月8日)牡牛座
身長 150cm 血筋は一橋家。
将軍に就任したのは29歳。在任期間は4年8ヶ月。
正室は1人。継室(後妻)2人。側室1人。子供は0人。
黒船来航直後に父、家慶が亡くなり幕府が大変な時期に将軍に就任。病弱、脳性麻痺による言動の不安定などにより、就任してからすでに次の将軍は誰?などと周囲からささやかれていました。
また幼少期に天然痘になり顔にアザがあり、人前に出るのが苦手だったといわれています。
それが原因かどうかは不明ですが、かなり奇行が目立ったようです。
・重要な会議中に豆を炒ってザルからザルへ取り分け喜んでいた。
・激務に追われた重臣たちをよそに、ふかし芋、カステラなどを作り重臣たちに振る舞っていた。
・庭を走り回っていた。などなど…。
後継者問題、権力争いなどにより膳に毒を盛られる事もあった時代、彼自身も将軍就任前に毒殺されそうになった事もあり、自ら調理を覚えふかし芋、カステラ作りに励んだ?!あえて奇行を繰り返す事により自らの命を守った?!などの説有り。
そんな家定が将軍だった時代、どんな出来事があったかというと…
・井伊直弼が大老就任。・吉田松陰が松下村塾を開く。・将軍継嗣問題の勃発。・政治は阿部正弘が主導。・日米和親条約。・日米修好通商条約。・パリ万博。・クリミア戦争。・イギリス、ロシア、フランス、オランダの和親条約。
そして幕府の弱体化。
アメリカ大使、タウンゼント・ハリスと家定が謁見した際、「家定は毅然とした態度てハリスを迎え、よく通る堂々とした気持ちの良い声だった」という記録があるそうで、本当に家定だったのかな?影武者??と個人的には思っております。
13代将軍、徳川家定の人物像をまとめると、ザッとこんな感じでしょうか。
・病弱。・脳性麻痺。・ふかし芋大好き。・カステラ大好き。・人前出るのが苦手。
そして家慶の子で唯一20歳以上になり、かんしゃく持ちな面もあったそう。
そんな家定、34歳の若さでこの世を去りました。死因が特定出来ず、不審死なんだそうです。
我々おとぼけdeブラザーズが家定について熱く語った動画upしてますので是非ご覧下さい!!
次回は14代将軍、徳川家茂をご紹介します!!